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一人でヒーリングサロンを広島に開店しました。開店までの奮闘記、波乱万丈の人生日記♪
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中途半端なことは嫌いだった。

中途半端になるくらいならしないほうがいい。

するかしないか、どちらかだ。

人は「適当」という言葉をよく遣う。

「適当」もやはり私は嫌いだ。

気持ちの入らない軽い感じが嫌。

私はしょうちゃんにも軽い感じ、軽薄さ、ノリみたいなものを感じるから、

違和感を感じるのかもしれない。

真面目に生きれない人。

人は何かしら誰かに迷惑をかけていきているけど、

それに対して悪いとも思わない。

自分に対しても、軽い気持ちは許せない。

ナンパをする男の子みたいに軽薄すぎる。

責任感がない。


もっとちゃんとしなくちゃ!と思う。

そんなことを思うのは私だけなのだろうか?

「ちゃんとしてるじゃない!」

と周りの人には言われてしまう。

夜の世界とお昼の世界の感覚の違いに今更ながらギャップを感じる。

夜の世界にいても、お昼の業界の常識のままでいたかったけど、

無理なことだったのかと思うと、落ち込む。

私がしょうちゃんを選んだ理由のひとつに夜の業界らしくない人だと思ったからだった。

でも、違っていた。
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浮気でもしてくれれば、楽に別れられるのに…

そんな思いもないことはなかった。

そんな思いが渦巻きながら当たり前のように毎日が過ぎて行った。

相変わらずの自分磨きだったけれど、私は少しペースを落として仕事をすることにした。

仕事ばかりでなく、もっと自分のことを考える時間がほしかった。

今まで、仕事、仕事、仕事…と突っ走ってきたから、

自分と会話することもなかなか思うように出来ず、

しょうちゃんのことも目の前にいてもわからない部分があったのかもしれない。

私の生活が変わることで、心にも余裕が持てれば、

そして、ペースを落とすことで、

しょうちゃんは私に頼らなくなるかもしれないという思いも少しあった。

私は仕事より主婦業をもう少ししっかりとやることにした。


週3は休みなので、休みの日は新婚の頃のように、

掃除も洗濯もお料理もしっかりやってみよう。

別にサボって来たわけではないけど、もともと不器用な私は,

家のことも仕事もきっちりやろうとすると、

心にも体にも負担が多すぎて、行き詰まってしまった。

私にはどちらもは無理なのだ。

どちらも選択できる器用な人もいるけど、どちらかしか選べない人もいる。

仕事に生きる方がいいのか、それとも、専業主婦になる方がいいのか、

まだ私にはわからない。

でも、どちらも選択して、どちらも中途半端になるよりはましだと考えた。
ずっと別れないで一緒にいたいという思いはまだあった。

でも、私は自分の気持ちを隠して、仲のいい夫婦を演じた。

もしかしたら、しょうちゃんも同じだったのかもしれない。

隠し事はしないでいよう、と思ったあの頃、何でも言い合えると思っていた。

でも、肝心な事は言えなくなっていた。


この頃には、もうベッドの上で求め合い、愛し合うことはなかった。

最初は、しょうちゃんがマネージャーになってから体も辛いのではないかと可哀想だったから、

私からは求めなくなった。

しょうちゃんも私を求めることはなかった。

でも、お互いそれで良かったのだ。

私は、明日の仕事のことしか頭になかったから、肉体関係がない方が良かった。

でも、実際、しょうちゃんは女を抱きたいと思うことあったはずだった。

出勤前に風俗くらい行った事は一度や二度はあったことだろう。

でも、浮気をしているわけじゃないし、いいか~と思ってはいた。
悩みがない人はいいわね!

しょうちゃんを見るたびにそう思っていた。

いつものんびりでマイペース、遅刻をしても気にならない。

私は時間にもお金にもルーズにもなれず、几帳面できた。

私がきっちりしすぎているのかしら?と思ったりもした。

でも、そんな性格をお互いがそう簡単に変えられず、

私は型に填まった考え方しかできなかった。

それを私は正しいと信じていた。

しょうちゃんは文句を言わず、私の思い通りの夫になろうとしていたとは思うが、

私の目には理想には程遠い夫だった。

一緒にベッドに寝ることもいくら軽蔑していたとしても、

別々の寝室や別々の布団に寝ることは、私にとってはあり得ないことだった。

自分では意識してないけれど、最後の夫婦の結びつきのように思っていたのかもしれない。

別々に寝れば、きっと終わるという思いがあったから何があっても、ひとりきりで寝ることはなかった。

傍から見てもまだまだ仲が良かった。
毎日、そうやって自分磨きをすることで一日の疲れは癒されていた。

しょうちゃんは相変わらず帰ってくると愚痴を言う。

私だって何もないわけじゃなかったけど、ストレスを感じるほどではなかった。

でも、家に帰ってまで愚痴は聞きたくなかった。

段々、毎日その愚痴を聞かされることに嫌気が差してきた。



男の癖に、よくそんなにしゃべるわね(`´)
いい加減にしてほしいわ!

と思っていた。

愚痴るのは今まで女ばかりかと思っていたけど、

女みたいにおしゃべりで愚痴る男もいるのだと知った。

そんな性もないことをペラペラと次から次へと出てくるものだ。

何か疾しいことでもあるのかもしれない。

疾しいことがあっても私は興味がなかった。

そんなことを聞かされるのはまだいいけど、

毎日同じベッドで寝ていると寝相の悪いしょうちゃんに起こされることが度々あった。

ただでさえ、なかなか寝付けないのに、ウトウトしはじめた頃に、

寝相の悪さに起こされるのだった。

そのたびに、しょうちゃんをベッドの端に追いやって、私は彼に背を向けて寝るのだった。

朝起きると、私は不機嫌だった。

そして、しょうちゃんはそんなことは覚えていない。

そのことに余計に腹が立って、さらに私の機嫌を損ねるのだ。
私は自分が健康的でキレイでいるために、一日おきにフィットネスクラブに行くことにした。
 
体を鍛えている間は嫌なことは忘れられた。

そして、シャワーを浴びると心も体も爽快気分なる。

これで仕事にも意欲的になれる気がした。


仕事が終わると自分磨きに専念した。

化粧品も顔だけでなく体にも気を遣い、毎日お風呂上がりには自分でマッサージをする。

普段から見られることの多い仕事なので、これはやるべきだと思った。

エステやマッサージに高いお金を払って通うのもいいけれど、

市販の化粧品で自分の肌に合うものを見つけて毎日やれば、効果があるはず!

みんなはどうしているのかは知らないけど、私にとっては日常になった。

しょうちゃんは私が太ろうと「太っても好きだよ」と言う人だけど、

一生懸命キレイになろうと努力をしている私にはきっと喜んでいたことでしょう。
しょうちゃんは夢を実現させるより今の楽な生活の方へと逃げた。

家に帰っても毎日のようにゲームとマンガばかりで、

将来を考えて何かをするわけでもなかった。

そんなに経営者になるって簡単じゃない。

お店を持つにはお金もいるけれど、従業員の教育や営業力がいる。

けれど、そんな努力をしているように思えなかった。

きっと「誰かが何とかしてくれる」と思っている。

周りに甘えてばかりで、自分では何も努力しない。

都合が悪くなれば、逃げる。

その度に私が後始末をさせられる。

これから先もこの体質は変わらないだろう。

私とは目指す所が違っている。


それでも、毎日が過ぎていく。

いつの間にか、しょうちゃんは私の同居人になった。

しょうちゃんは私の作るお料理を「おいしい」と言って食べてくれているけど、

私は前みたいにしょうちゃんのためにではなく、自分のために作る。

そして、キレイでいるために自分に手を掛けるようになった。

しょうちゃんは、彼のためにキレイでいようとしているように思ったかもしれない。

私は私のためにキレイでいる努力をした。


そして、私はフィットネスクラブに通うようになった。

もともと会社帰りに通っていたし、しょうちゃんといるよりは仕事前に汗を流して鈍った筋肉を鍛え、

健康的になろうとした。


毎日通うのはムリだけど、二日に一回でもムリしないで通うことにした。
しょうちゃんとの暮らしはハラハラドキドキで、

安定した暮らしを求める私には程遠い感覚だった。

今ももしかしたら、私に隠れて借金を作っているかもしれない。

それを思うと苛立ち、居ても立ってもいられなくて、悲しくなる。


しょうちゃんはギャンブルさえしなければ、私には優しくていい旦那さまだ。

でも、この人と一緒にいて幸せだと感じることはないだろう。


しょうちゃんはわたしといて、幸せなんだろうか?

ストレスが溜まってギャンブルをするくらいなら、幸せではないと思う。


幸せって、いいものを食べたり高い洋服を着たりと贅沢が出来ることではない。

お金がなくても心が満たされれば、幸せなんだと思う。


だけど、しょうちゃんは物質的に満たされれば

心も満たされて幸せに思うのかもしれない。

いつから愛情よりお金が一番大事になってしまったのだろうか?

今まで持ったことのない大金を持つと人は変わるけど、

なぜそんなにお金に振り回されてしまったのだろうか。

生かされるお金の使い方だとはとても思えない。

お金の使い道は後先を考えて使うから、

買ったものも本当に欲しくて買うからそんなに簡単に捨てることはない。

だけど、思いつきで買ったりすると、結局はいらなくなって捨てたり、

他にいいものを見つければあっさり捨てて新しいものを買う。物を大切にしないのだ。
 
それと同じように人に対しても大切にしない人間関係を作ってしまうような気がする。


しょうちゃんは表向きは私を大事にしている振りをして、

本当は私を大切に思っていなかったりするのだろうか?
最後まで添い遂げられたらどんなによかったか!

でも、ギャンブル癖だけでなく生きていく上でお互いが伸ばし合う関係でなければ、

一緒に生きていくのはムリだ。

支え合うならともかく、寄り掛られて生きていくのはとても辛い。

肩にのしかかった荷は私には重すぎて、崩れそう。

女ならやはり男に守られたい。

でも、しょうちゃんにはやっぱり私を守っていくのはプレッシャーなのかもしれない。

プレッシャーを感じるからストレスになる。

しょうちゃんに過ちを犯させてしまったのは、私なのかもしれない。

お互いが一緒にいても傷つけ合うだけなのだろう。

そして、お互いをダメにしている関係かもしれない。

でも、私の中にはどうしてもしょうちゃんを見捨てることが

なかなか出来ないでいる記憶がある。


関西の震災が起きた時、しょうちゃんは必死で私を守ってくれた。

あれは本物の愛ではなかったのかと思う。

それを思い出すたびに、今回だけは許してあげようと思ってしまう。

あんな記憶がなければ、決断は出来ることなのに、

思い出のために思い切れないのだ。

周りの人に言わせれば、「どれだけ心が広いの!」と呆れるだろうけど、

人生の大きな決断はそう簡単に出来るものでもないようだ。
そんなことがあってから私は、平静を装っていたけど内心は疑いの目でしか見なくなった。


いつも通りの私でいながらしょうちゃんの為でなく、自分の為に生きようと思った。

結婚する時は絶対に離婚しないと決めていたけど、こんなに自分のことしか考えないのなら、

もう一緒に生活していくのはムリではないかという思いが心の片隅に沸いてきた。

どうやってもしょうちゃんのギャンブル癖は治らないだろう。

今はまだ、私が働けば何とか生活していけるけど、

いつまでもこんな仕事はやっていけるものじゃない。


いつか辞めなくてはいけない日がやってくる。

その時に私としょうちゃんは一体どうして生きていけるだろう。

きっとしょうちゃんは、どんなにお金がなくても、

ストレスが溜まったからと言ってギャンブルをし続けるだろう。

そして、私はしょうちゃんと別れなかったことを後悔するのかもしれない。


それならば、今から何年後かの離婚に向けて

しっかりお金を貯めていく必要があるのではないか?
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