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一人でヒーリングサロンを広島に開店しました。開店までの奮闘記、波乱万丈の人生日記♪
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ワタシは、ふっと高いところに登ることがあります。

スカイツリーの634mまではいかなくても、高所から遠くを眺めると、

どんな悩みも小さなことだと思えてくるからです。

地上を行き来する車や人の姿のなんと小さいことでしょうか?

「自分もその一人なのだなぁ」と思うと、

気持ちがせいせいします。

東京ベイエリアを見渡す超高層ビルに引っ越したある会社では、

社員のモチベーションが目に見えて上がったそうです。

仕事中、ふと外に視線を向けると、180度、どこまでも続く海と空。

ちょっとしたイライラやムカムカは自然に消えてしまうのでしょう。

また、ワタシの場合にも、まず、「ありがとう」と言ってしまうことにしています。

「ありがとう」から要件を切りだしたり、会話をスタートさせるのです。

「ありがとうございます。今日はお運びいただいて」

「ありがとう。今日も無事に仕事が終わったな」

「ありがとう。ごはん、おいしかったよ」

などという具合です。

「ありがとう」は心を温かにする魔法の言葉です。

「ありがとう」と言われた方も、言った方も心が温まります。

反対に、ワタシは「すみません」はあまり使いません。

もともと詫び言葉ですから、言うたびに心は萎縮し、冷えていってしまいます。

本当に詫びる時は、きちんと

「申し訳ありませんでした」「気が付きませんで」と言った方がいいでしょう。

何でも「すみません」を代用するのは考えモノです。
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彼女ほどの富豪ではないにしても、

気分が晴れない日は最高のオシャレをして出かけるとか、

家でお茶やお酒を飲む時も来客用の一番いいカップやグラスを自分のために使うなど、

うまく工夫して「自分へのご褒美」を上手に取り入れることです。

新幹線のグリーン車に乗ったり、ホテルの部屋をワンランク上げたりするだけで、

気分が豊かになってきます。

切り換え言葉を持つのもいいことです。

「どんな仕事もいつかは終わる」

知人は、パソコンの前にこう貼ってあるそうです。

「明けない夜はない」という言葉からヒントを得て作ったといいますが、

こんな切り換え言葉を持っていると、

自分をとことん追い詰めることはなくなるはずです。
なんだか仕事に気が乗らないときは、仕事をやめて、

身辺を片付けてみましょう。

ただし5分間だけです。

それでも、デスク周りだけなら見違えるようにスッキリします。

それにつれ、グッチャグチャになっていた心の中も

自然に片付けられていくから不思議です。

心の状態を変えるには、

心を変えなければならないと思い込んでいませんか?

「心身一如」です。

カラダを動かすと、心も動きます。

こうした考え方を「フィオロジー」といい、

自分の力を最大限に引き出すNLP(神経言語プログラミング)でも

よく行われています。

「自分をリスペクトして敬意を払うこと。これが幸せになる秘訣よ」と語るのは、

世界的富豪ロスチャイルド家のナディーヌ夫人です。

工員、モデル、ダンサー、女優と数々の職業を経験して、

大富豪で男爵のエドモンド・ロスチャイルドと結婚した女性です。
本来の意味とは異なった意味で言葉が使われている典型例のもう一つが、

「わがまま」です。

鬱傾向がある人は、「わがまま」に生きていません。

「わがままに生きる」ことは、今の社会で否定されています。

子供の頃から、しょっちゅう

「わがままはいけません」と言われてきた人も少なくないでしょう。

「わがまま」は「我儘」と書きます。

自分があるがままに、自分らしく、というのが本来の意味です。

人は「わがまま」に生きられたら最高なのです。

常に自分を抑え、周りを優先し、周りに合わせ、

自分が突出することがないようにブレーキをかけ続けるのは、

いわば「他儘」であり、心が冷え固まってしまうのは当然です。

「わがまま」で、自発的、創造的、個性的な生き方を目指していきましょう。

制約はあるでしょうが、そう目指していれば、

心は柔らかさ、温かさを保っていられるものです。
「がんばった自分にご褒美」が流行しているように、

多くの人が、がんばっている自分が好きで、

つい、がんばりすぎてしまうのですが、危険です。

がんばり続けていると、心やカラダは、

もうムリというサインを送ってきます。

「どうも気が向かない」「今日は集中できない」などという気持ちがそうです。

そんな日には、もうがんばってはいけません。

出勤途中でそんな気持ちが湧いたら、そこで方向転換をして、

行きたいところに行ってもいいではないですか?

会社には、「適当な」口実で「休みます」と連絡を入れれば十分です。

これをうまくできる人は、鬱病になりません。

非常に厳しい時代ですが、

1日や2日の突然休暇でクビになることはありません。

あったとしたら、すでにクビのリストに入っていたのです。

それよりも無理をしてがんばり続け、

鬱になってしまったら、元も子もないと思います。
鬱の方は、これまで数え切れないほど自分自身に

「がんばろう」「がんばらなくては」と言い続けてきたはずです。

でも、実は、そんなにがんばらなくていいのです。

がんばる生き方は心を冷やしてしまいます。

「頑張る」のは、頑なに、張り詰めることです。

自分を追い詰め、心を固く縮こまらせ、

余裕や温もりを奪ってしまう生き方です。

心を冷やしてしまわないためには、むしろ、

「がんばらない」生き方を目指した方がいいのです。

がんばることが評価され、

がんばれない人は否定されてしまう現在の風潮は、

おかしいというより、間違っています。

肩の力を抜いてのびのびと仕事や人生を楽しむ方がいいのです。

楽しむことが難しければ、

辛さを感じない程度にとどめる阿吽の呼吸を覚えたいものです。



②ボサボサ髪、ジャージ姿で外に出る

いい加減な姿で、例えば近くのコンビニまで行ってみるのも練習の一つです。

「そんなの平気さ。普段からよくやっているもの」と言う人は、

気分が落ち込むことはきっとないので大丈夫です。


③新聞紙をビリビリ破いて散らかす

キレイ好きの方は、破いた新聞紙を散らかして、そのまま、

その新聞紙の上に布団を敷いて、その部屋に寝るのです。


④左右違う靴下や靴を履いて外出する


⑤下着を2日間ぐらい変えない


⑥歯を磨かないで朝食をとる


どれもバカバカしくて非常識でしょう。

それをあえて実行してみるのです。

なぜなら、誰が見ても常識にかない、社会人としてきちんとふるまうべきだという、

頭にこびりついた価値観を、はがしたいからです。

こうした練習を繰り返していくうちに、どんな非常識なことをしても、

他人に迷惑をかけない限り、誰も笑ったり、非難しないことに気づくはずです。

世間は思っているより、ずっと「いい加減」で「適当」であり、

幅広い許容範囲を持っているものなのです。

自分が感じる「世間」の99%は、自分自身が作り出した幻なのです。
みなさんは、完璧を目指すのは大変だけど、

「いい加減」「適当に」生きるのは簡単だ、と思うかもしれません。

ところが、長い間、

「失敗はダメ!」「見落としがないように」

と努力してきたクセは、そう簡単には抜けません。

そこで、「いい加減」の練習をしてみましょう。


①100円玉を落とし、拾わないで立ち去る

できそうでできない物です。

でも、できるようになるまで練習するのが、ワタシ流のファーストレッスンです。

毎月決まった収入で暮らしているのですから、100円と言えども大金です。

見方を変えれば、100円くらいの無駄は平気でしているものです。

3個298円で買ったトマトを1個、腐らせて捨ててしまったり、

100円ショップで買ったボールペンを落としても平気だったりするでしょう。

それなのに、100円玉を拾わないと気になってしまうのは、

モノでなくお金だからです。

そのこだわりを捨てましょう。

100円で自分を変えることができます。
「いい加減」と同じような言葉に「適当」があります。

「仕事は適当にすればいいんですよ」

とワタシが言うと、たいていの人は「いい加減」の時と同様、ムッとした顔をします。

「適当」も、本来はよい意味なのです。

適は「かなう」、当は「正しい、ほどよい」という意味であり、

「適当」は、いちばんほどよく的確な状態を示しているのです。

いつの間にか、人や行動を形容する場合には、

「信用できない」「アテにならない」という意味が強くなってきたのは不思議です。

いい加減な人、適当な人の方が周囲がホッとし、心を開くのです。

「ああ、この人も自分と同類なのだ」という安心感を持てるからです。

上司の目、周囲の評価、仕事の厳密性、漠然とした期待値・・・・・・

そんなことに心を煩わせず、もっと「いい加減」で「適当」にやればいいのです。

そう思っただけで、肩から力が抜けませんか?

あなたがラクなら周囲もラクだということに気づいてください。

すべての人間は、どこかが抜けていたり、何かが足りなかったりするものです。

それを補い合っていくのが、仕事仲間であり、家族であり、社会なのではないでしょうか?
いい加減にやるようになってからの方が周囲と

うまくやっていけるようになったのは当然です。

人間は完璧ではありません。

誰だって、いい加減な面を持っています。

だから、いい加減な人の方が、安心して付き合えるのです。

Dさんの場合も、いい加減になるにつれ、

周りの人が気軽に声をかけるようになったと言います。

それまでは完璧主義で、常に第緊張で仕事に向き合っていました。

ピリピリ感が伝わってしまい、なんだか怒られそうな雰囲気が漂っていたのでしょう。

でも、今のDさんは、漂う雰囲気も気楽で、

声をかけても大丈夫という感じを与えるようになったのです。

「この間も、上司から『チームワークがよくなったね』とほめられたんですよ」

と言います。

同僚との人間関係が苦手だったDさんにとっては、

劇的な変化だと言えるでしょう。

何より、本人が「本当にラクになった」と笑顔を見せるのです。

なぜなら、少しずつ仕事を楽しめるようになってきたからです。

完璧を目指していた頃は、仕事を楽しいと思ったことはありませんでした。

いつも「これでいいのだろうか?もっと他のやり方があったのではないか?」

と不満や後悔ばかりが心にあったと言います。

今では、不満や不足があっても

「まあ、今日のところはこれでいいとしよう」

と割り切れるようになってきました。

すると、そこから、

「次はこうしよう、ああしよう」

と新たな意欲が湧いてくるのを感じるのだそうです。
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