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一人でヒーリングサロンを広島に開店しました。開店までの奮闘記、波乱万丈の人生日記♪
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そして、これは本当に大切なことだが、心穏やかに子育てをしていると、

いつか子どもが大きくなった時

「子どものそばにいてやれなかった」と後悔することが亡くなるのです。

子どもが「親はいつもそばにいてやれなかった」と思う時、

それは「いつも隣にいてくれなかった」というよりは、

「心が自分に向いていなかった」ことを寂しく思っている場合が多いのです。

親たちは、今朝の食事の準備や、今日の会議のことや、

その晩に片付けなければいけないことなど、

今以外のあらゆることで頭がいっぱいになっていたのです。

子どもは親の心が離れていることを敏感に感じ取り、親は自分に関心がないのだと思うのです。

子どもに寄り添うというのは、必ずしも、子どもと過ごす時間を増やすことではないのです。

短い時間でも、たっぷりと同じ時間を楽しめたと、親も子どもも心から満足します。
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ゆったりと生きていると、親の心にもいろいろな“嬉しい変化”が起こります。

まず、ありふれた瞬間が、とても素晴らしい瞬間に思えてきます。

だから、週末に子どもたちと海に出かけて遊ぶのを心待ちにしなくても、

言えの外で一緒に遊んだり、リビングで話をしたり、夕陽を眺めたりすることだって、

同じくらいかけがえのない時間だと気づくのです。

ありふれた日常の瞬間を楽しめるようになるのです。

さらに、それまでイライラさせられていたことのほとんどが、

取るに足らないことだったとおもえてくるでしょう。

また、親が心穏やかでいれば、

子どもに対して落ち着いたふるまいの手本を見せることができるのです。

「ちゃんとしなさい!」「急ぎなさい!」と、

子どもに言って聞かせようとする親の姿は、子どもの目にどう映っているのでしょう?

中には、イライラして怒鳴る親もいます。

しつけているつもりかもしれませんが、

子どもはそんな親のカッカした振る舞いをお手本にします。

親が怒鳴れば、子どもも怒鳴るようになるのです。

逆に親がゆったり生きれば、子どももゆったり生きるようになるのです。

世の中のたくさんの親たちは、子どもと過ごす時間を楽しみたいと思いながら、

今、目の前にあるその機会をみすみす見逃していることが、とても多いのです。


たとえば、子どもが今日一日のことを楽しげに話している時、

それを聴きながらも、心は週末の家族旅行の計画を立てるのに忙しいのです。

家族水入らずで食卓を囲みながら、

翌週にレストランでもっと楽しく食事をする計画を立てるのに余念がないのです。

運動会で、わが子のベストショットを逃すまいと必死になるあまり、

目の前で頑張っている子どもを応援することさえ忘れてしまう親が、たくさんいます。

ビデオカメラでの撮影に一生懸命になっていて、一人娘の結婚式の大半を、

その目で見ることを忘れてしまう親もいます。


あとで写真やビデオを見れば、その出来事を心から楽しめると勘違いしているのです。

でも、実際は、「今、目の前にあること」を、もう二度と見ることはできないのです。

本当なら、ワタシ達は今この瞬間の美しさにもっと気づけるはずなのです。


大切な人との「特別な時間」は、「今、ここ」にあるのです。
心に余裕がないと、どんな人であれ、視野が狭くなってしまうモノです。

たとえば、10代の子どもが親をうるさく思うようになって、

一緒に出かけるのを嫌がったりし始めた時、心に余裕がないと

「ワタシの育て方が悪かったのかしら」と悶々と悩んでしまったりします。

けれど、心が落ち着いていれば、それがティーンエイジャーによくある反抗期であり、

親離れの予行演習であり、自分だってその年の頃は同じようなものだったと気づくでしょう。


そのほかにも、「学校なんて大嫌い」と子どもが言った時、

「学校が嫌いってどういうこと?何があったの?登校拒否?」

と大騒ぎし始めるようなら、それは親の心がせわしないから。

本当は、何となく落ち込んだ気分から言った軽い一言だったかもしれないのに、

ものすごい大事件のように思えてしまうのです。

親が子どもの何気ない一言を大げさに受け取ると、子どもを心配したつもりが逆効果になります。

せわしなく考えていると、人生はハプニングの連続に思えるだろう。

けれど、ゆったり生きれば、自分の考え方こそが、その原因だとわかるはずです。
落ち着きなく、何かにせかされたような気持ちで親が子どもに接していると、

子どもにもいろいろな形で影響を与えることがあります。

たとえば、自宅を訪ねてきた友人が、グラスの中身をこぼしたとしたら、

あなたは何と言うだろう?

「気にしないで。拭いておくから。それより、もう一杯いかが?」

ところが、自分の子どもが同じことをすると、

「どうしていつもこぼしたりするの?今週で3回目よ!」

こんなふうに声を荒げていないだろうか?

でも、心が落ち着いていたら、ここで過去の失敗をあげつらうよりも、

ずっといい方法に気づくはずです。

グラスが割れていないかと気遣ってあげたり、

どんなふうに気をつけていればこぼさないようにできるかアドバイスしてあげたり。


親の心がリラックスしていれば、子どもの失敗にいちいちイライラしたり、

小さなことに目くじらを立てずに済むようになります。
子どもと一緒に過ごせる時間がどれほど短いかわかっていても、

ほとんどの親が子育ての日々をアクセクして過ごし、早く過ぎ去ってくれればいいと思います。

「幼児期が過ぎたら、ラクになる」

「2歳を過ぎると、あまり怒らずに済むからホッとする」

「やっかいな10代が早く終わってくれるといい」

そう思います。

けれど、子どもが大きくなるにつれて、

「赤ちゃんの頃が懐かしいわ」

「あっという間に大きくなって、何だか寂しい」

などという人も多いです。


「リラックス生活」を楽しむための原則は、子育てにもぴったりです。
「許すこと」が過去を忘れる方法のひとつだと知れば、許すことの抵抗は小さくなります。

記憶を思い起こすのは、汚れた洗濯物を汚れた水ですすぐようなモノです。

恨みや後悔で汚れた水で何度も心を洗っても、キレイになるわけがありません。

許すことでマイナス感情を手放せば、すすぐ水はキレイになり、

あなた自身も癒されて、感情にとらわれずに相手と向き合えるのです。


「許すこと」で得られる心の「爽快感」は、クセになるほどです。


周りにいる人たちを、思い込みや誤解というフィルターのかかった目で見てしまわないように、

いつも心をキレイに洗濯しておきましょう。
今を精いっぱい生きるためには、恨みや後悔といった過去を忘れることです。

ところが多くの人が、恨みは自分たちを強くし、それを持ち続けることでリベンジできる、

大きくなれるのだと信じているのです。

しかし、最期の時、ほとんどの人は、過去の痛みを喜んで手放すといいます。

それを「今」からすればいいのです。


そして、

「もし相手が謝ってくれるなら」

「許してほしいと心から反省しているなら」

というように、許すことに条件をつけないことです。

積極的にあなたから、許してあげましょう。


自分から許すと決めた瞬間、不思議なことに心にも変化のスイッチが入り、

わだかまっていたモノがスーッと小さくなっていくのを感じるはずです。

そして、辛い記憶がよみがえってきても、

「また、思い出しちゃった。でも、そのうちに気にならなくなる」とやり過ごせます。

この時あなたは、「今」に目を向け始めています。




もちろん、過去の出来事や行いの責任が全くない、ということではありません。

ただ、いつだって誰もが、いちばんいいと思う選択肢を選んできたと考えればいいのです。

同じ状況に直面しても、その時の「心の状態」によって受け止め方や態度は違ってきます。

空腹の人が食べ物のことしか考えられなかったり、

ビクビクしている人は普通の人が気づかない危険にもピンとくるのと同じです。


相手を助けたいと思って近づいても、手を差し伸べられた人が、その時

「不安でたまらない」と感じていれば、相手が自分を思い通りにしようとしているのではないか、

騙そうとしているのではないかと疑い、誤解して、手を差し伸べてくれた人に全く感謝できないどころか、

正反対の態度を取ってしまうこともあります。

だから、相手にイヤな態度を取られた時は、それが自分に向けられたものではなく、

その時のその人の心の状態がそうさせているだけだと思ってあげればいいのです。

そうすれば、自分までネガティブな気持ちになるのを、避けられるのです。

逆に、相手がポジティブな心で、やさしい思いやりのあるふるまいをしてくれた時、

心が落ち着いていれば、相手の気持ちを素直に受け取ることができるのです。
誰かとの人間関係がうまくいっていないことに心を痛めたり、なぜ昔のように、

うまくいかないのかと悩む時、ワタシ達はすべての記憶を引っ張り出して、

「今」との食い違いを説明してくれるデータを探そうとします。

その結果が招くのは、誰が正しくて、誰が間違っているかといった、非難の応報。

責めたり、憎んだり、腹を立てたり、傷つけたり、罪悪感を覚えたり、恥じたり、

自信をなくしたり・・・・・・ネガティブな方向へと引きずられていきます。

人間関係において、悪いのは誰なのかを分析しようとすると、

たいていは自分に都合よく解釈するので、自分に甘く、人に厳しくなってしまいます。

また、すべて”自分視点”で見た結果なのだから、当然、自分本位の意見になりやすいのです。

では、どうすればいいのだろうか?

自分と相手、お互いの中に悪意がないことを証明するのです。


☆過去から今まで、誰もが最善を尽くしている。

☆それぞれが自分の思い通りにできれば、とても充実した、いい関係が築けるに違いない。

  ただ、その方法を知らないだけ。


この二つの仮説にうなずけるなら、自分や相手に悪意はないと気づくことができます。

まずは、自分の中に悪意がないことを見つける方が大切です。

それによって肩の力が抜けるので、人と心を開いて付き合えるようになり、

相手にも悪意がないことが分かります。
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