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一人でヒーリングサロンを広島に開店しました。開店までの奮闘記、波乱万丈の人生日記♪
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そんなことを思いながら、とにかく前に進むことだけを考えた。

夜遅く帰っても、朝早く起きて、それからの1~2時間は 勉強に励んだ。

どんなに遅くなってもそれだけは変わらない毎日だった。

毎日勉強していると、次第に自分の実力を試したくなってきた。

それは、自分がどれくらいの位置にいるかを数字として確かめるためでもあった。

今までは、そういう試験を受けるのはめんどくさくて、

どうでもいいことのように思っていた。

それに、ワタシは試験のために勉強をするのはうんざりしていた。

ワタシは、話すための英語を身につけたかったからだ。

何故、周りはそんなに試験を受けさせたがるのかわからなかった。

しかし、ある程度のレベルの実力がつくと、

弱気だったワタシも自信が少しだけ出てきて、

やってみようかなという気になり、試験を受けることにした。

だからといって、そんなに良い成績を 修められるとは思っていなかった。

ただ、これからの目安にはなるだろう、それだけだった。
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好きだからこそ、勉強することが楽しいし、

努力した結果は必ず身につくとワタシは信じている。

ワタシが中学生の頃、中間試験があった。

しかし、皆苦戦していたようで数学の試験は

先生も全員再試験をすることとなった。

ワタシも散々な結果だったけど、好きな教科の数学だったのに

こんな最悪の結果しか出せなかった自分が悔しかった。

それからの毎日は、学校が終わると真っすぐに家に帰り、

数学辞書を片手に問題を解いていった。

おかげで自分でも納得のいく成績を収めることができた。

だから、時間がかかってもできないはずはない!絶対できるはずだ!と信じた。

他人が無理だと言っても、最後の最後の味方は自分だけだ。

自分が一番の味方でなければ、誰が応援し、慰め、褒めてあげるのかと思った。
寒さで感覚のなくなった手のようにかじかんで動かなかった頭も

段々と感覚を取り戻し、勉強するのが楽しくはなった。

でも、まだまだワタシの中で納得のいく結果ではなかったので、満足はしてなかった。

先生は、ワタシは文法がしっかりしているのが強みだが、

頭で考えて答えられないことがあるので、

間違ってもいいから言葉にするようにと言われたことがある。

英語に限らず、他の分野でも小学生の頃に言われたことがあった。
 
もともと大人しく引っ込み思案で人の輪に入るのが苦手だったワタシは、

どの授業でも先生に質問されても自信がなく手を挙げるのも恐かった。

そして、手を挙げても自信のなさから頭の中で色んな言葉がグルグルと回って

言葉にするのにかなり時間がかかってしまうのだ。

日本人で生まれたのに日本語をなかなか言葉にできないなんて

ワタシは間違って生まれてきてしまったのではないかと本気で思っていた。

生まれてきたことも、何でも器用にこなしてしまう母に

こんな出来の悪いワタシですごく悪いような気がして

死んだ方がいいのではないかと子供ながらに思い詰めてしまい、辛い数年間を過ごした。

あの頃のワタシと同じではないかとがっかりした。

『三つ子の魂百まで』と諺にあるように小さい頃の性格はやはり変えることはできなくて、

克服するのはムリなのだろうかとすごく深刻に考えて落ち込んだ。

それに、どんなに変わりたいと思っても持って生まれたものは

どんなに頑張っても脱皮することはできないのだろうかと悩んだ。

『好きこそ物の上手なれ』とは言うけど、 やはり好きだけじゃダメなんだろうか?
それとともに、長年、学生のように暗記するという

作業をやっていなかったせいで覚えるという事が

どんなに大変で、毎日脳を使わなければ

記憶するという事が困難になって来るのかを

身を持って体験した!

1つ覚えても明日になれば忘れてしまう事は、

認知症にでもなってしまったのかと思えた。

まるでコップに水を一滴入れると溢れてしまうように

1つ覚えたかと思うと、昨日覚えたはずだった単語を忘れてしまうのだ。

だから、今日覚える単語は、昨日覚えた単語と一緒に覚える。

明日覚える単語は、今日覚えた単語と昨日覚えた単語と一緒に覚えた。

そして、覚える時は、必ず単語と意味を声に出しながら書きながらした。

そうやってやっていくうちに、何とかコツも覚え、

ボヤッとした脳も毎日の訓練のおかげで徐々に活性化してきた。
早速、次の週から通い始めたが、忘れている事が多く、

暗記するだけならともかく話すとなると一苦労だった。

話したい事はいっぱいあるのに言葉に出来ないもどかしさは

自分の出来なさにもイライラしたし、

もっと出来たはずなのにと何だか悲しくなってしまった。

でも、毎日練習すれば感覚は戻ってくるはずと信じて

来る日も来る日もテキストの内容を口に出して読んだ。

最初は、口が回らなかった単語も繰り返すうちに

段々とスラスラ言えるようになり、文章も流暢とまではいかないが、

だいぶん楽に読めるようになった。

そして、気づいたことは、普段仕事でもあんなに喋っているのに

口の周りの筋肉を使っていないようで,
 
レッスンや練習のあとは固い物を食べた後みたいに顎が疲れることだった。

日本語がどれだけ口の一部分しか使わない人種なのかを知った。
最新は何から始めようか?

と考えて頭に浮かんだのは、やっぱり英語だった!

一番心にひっかかっている英語から始めよう!

とはいっても、英語の勉強をしなくなって、

かなりの年月が経っているから、単語ひとつ文法なんて何一つ

覚えているどころの話ではない。
一から始めようと思った。

とりあえず、英会話に通うことにした。

授業料はというと…大学の講義並に高い授業料だった。

しかし、その方がやる気になるし、
 
高いからこそサボりたくてもサボれない気がしたので

即1年分を契約した。

不安も大いにあるが、期待で胸がいっぱいだったので、

週2回ペースがいいようだったが、週1回のペースで通うことにした。

そのペースで通う自信もなかったし、学んだ事を家に帰って復習して

確実に吸収したかったからだ。
越えられる壁が来ているからこそ、 乗り越えてやる!ぶち破ってやる!

と意気込んでしまう。

越えられない壁があるはずはない。

越えられるから今、目の前に立ちはだかっているのだ。

ワタシにどういう道を選ばせたいのか、 ワタシは何を選択すればいいのかと

今ワタシがやるべき事を考えた。

出来るかどうかじゃない!目の前にあることをやるのだ!


今までやりたいと思いながらやれずに来たことからやり始めよう!

女子大生の頃、パソコンの授業が楽しかったO(≧∇≦)o

ただ、必要に迫られなかったし、いつでも勉強出来ると思っていたのに

10年があっという間に過ぎていた。

毎日の忙しさを理由に「まあ、いいか~」と目を背けていたのかも知れない。

それに、英語が好きで入った英文科の大学だったけど、

何だか興味ない授業ばかりでワタシの習いたい事ではないとアッサリ辞めてしまった。

でも、心のどころか中退してしまったこと、好きな英語を諦めてしまったことに

すごい後悔があり、ずっと引っ掛かっていたが見ないようにしていた。

勉強が好きだったという理由で、高い教材をねだり、

結局は両親に負担をかけてしまったから、

本当はやりたいことや習いたいことは沢山あっても

また迷惑をかけてしまうと思って、我が儘を言えなかった。

でも、今は自分の毎月のお金で好きなことができる。

幸せなことに、OLには稼ぐ事ができないほど満足のいくお金を手にしている。

そして、仕事に支障がなければ、お店に迷惑をかけなければ、

好きなことが何でもできる。
結局、クリスマスも年末もお店に出ないまま、

お店やママと連絡もとらないまま新年を迎えた。

短い間ではあるが、ママやみんなには

とてもお世話になったのは事実だけど、

今のワタシには他の何かをやりたくてウズウズして、

お店にはそそられるものがなく、何の魅力も感じない。

何をやりたいのかはわからないけど、

ただ、人の為になる仕事がしたいとは思っていた。

ワタシには何が出来るのだろうか?

今までは会社に縛られるのはイヤだからと、

普通のOLをやったことはない。

その代わり、結果を出せば、文句を言われることのない

サービス業ばかりに携わってきた。

そして、そのサービス業も女性ばかりがお客さまだったり、

男性ばかりを相手にする仕事だった。

デパートでは、ただ”飾る”だけでなく、様々な悩みやお話を聞いて

喫茶店に来る感覚で気軽に寄れるようにした。

夜嬢つまりいわゆる水商売は、夜のカウンセラーだった。
 
疲れた男性客の話相手になってストレスを解消してもらうと同時に、

相手の心遣いなどという意味で男性心理も学んだ。

どんな時でも、どんなところでも、

働くことでいろんな人に出会えたし、経験できた。

もちろん、働くことは楽しいことばかりではない。

理想だけではやっていけない。

人間関係の難しさやノルマをあげるときの辛さなど、

思い返すとむしろしんどいことの方が多かったかもしれない。

でも、ワタシの前には、超えることをワクワクしている壁が

今、来ていると思っている。
ひろみちゃんが東京に帰ってから数日が経ったが、

ワタシはまだ何を目標にしたらいいのか

まだわからなくて立ち止まったままだった。



でも、とりあえずは興味を持ったこと、

してみたいと思ったことにチャレンジしてみようと思った。



別に夜の仕事がイヤなわけではない。

ただ、ワタシの進むべき道が

他にあるような気がしているだけだ。

いつまでもやれる商売ではない。

それは、麻美さんもひろみちゃんも思っていたことだ。

実際、二人は言葉に出しては言わないけど、

ずっともがいていたし、今ももがいていることだろう。


いつかはやめなくてはいけない日がくる。

体力の限界を感じる日がくる。

その前に、一生の仕事としてやっていける仕事をみつけたい。
ひろみちゃんは先に帰った。


今度会えるのはいつになるのかと思うと

名残惜しかった(>_<)

でも、それでひろみちゃんが幸せになれるなら

会えなくなってもいいと思った。

それに東京と広島・・・同じ日本だから

会おうと思えば会えない距離ではない。

電話で話すこともできる。

ただ、今までみたいにはちょくちょく

会えなくなるだけだ。

地元に帰れば家族もそばにいるし、

きっと広島に居るよりは安心できる。


いろんなことがこの一年であった。

楽しいことも沢山あったけど、

その分嫌なこともそれなりにあった。

でも、それは麻美さんやひろみちゃんがいたから

ワタシは頑張って来られた。

麻美さんはまだ同じお店で頑張るみたいだけど、

ひろみちゃんもいないし、緊張感のある毎日でいた分、

気が抜けてどんなお店で働くかどうかより

少しだけ心も体も休めて自分の進む道を考えたい。
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