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一人でヒーリングサロンを広島に開店しました。開店までの奮闘記、波乱万丈の人生日記♪
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では、交通渋滞につかまったとしたらどうでしょう?

ほんの数分のことだったとしても、きっと我慢できないくらい退屈するはずです。

ソファで恋人と語らっている時より、遥かにいろいろなことが周りで起こっているにもかかわらず、

ものの数分で「退屈」が襲ってきます。


なぜなら、あなたの心が、これからの予定とか、

「どうやったら、この渋滞を抜け出せるだろう?」とかいったことを考え始めてしまうからです。

「もっと早く出発すればよかった」と過去を後悔したりします。

そうして、あなたは、今この瞬間からどんどん遠ざかっていきます。


心が心配事や悩みでいっぱいになるにつれて、どんなことをしても楽しめなくなっていきます。

この世で一番美しい場所にいて、幸せなことがいっぱい起こっても、

心がセカセカしていると、退屈に思えてしまうのです。

もし、「退屈だ」と感じた時には、頭の中がどれだけグチャグチャになっているか、

確かめてみるといいでしょう。

きっとあなたは、アレコレ忙しく考えすぎています。


退屈なのは、やることがないからではなく、考えすぎているのが原因。

「何か楽しいことはないか?」「きっと、他にもっと楽しいことがある」と考えているうちは、

いつまでも幸せいっぱいな気分になれないのです。
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ゆったり生きようとすると、「本当にそれでいいのかな?」と戸惑ってしまうことがあります。

一番の理由は、「退屈するのが怖い」から。


「退屈」は、生活する中で最も厄介なモノのひとつです。

動き回って、いろいろなことをしていれば、退屈したりしないと思い込んでいます。

けれど、実は、退屈の原因は、ちょっと意外なところにあります。

実は、やることがないから退屈をするのではなく、やるべきことが多すぎる時や、

せわしない心が原因で退屈するのです。


愛する人とソファに並んで座っている時、

あなたは何時間でも満ち足りた気持ちで過ごすことができるはず。

一瞬一瞬が特別で、別に大したことをしているわけではないけれど、

心はスッキリと晴れ渡り、楽しくて幸せな気分で、退屈に感じる時間は1秒もありません。
ゆったり生きようとすると、「本当にそれでいいのかな?」と戸惑ってしまうことがあります。

一番の理由は、「退屈するのが怖い」から。


「退屈」は、生活する中で最も厄介なモノのひとつです。

動き回って、いろいろなことをしていれば、退屈したりしないと思い込んでいます。

けれど、実は、退屈の原因は、ちょっと意外なところにあります。

実は、やることがないから退屈をするのではなく、やるべきことが多すぎる時や、

せわしない心が原因で退屈するのです。


愛する人とソファに並んで座っている時、

あなたは何時間でも満ち足りた気持ちで過ごすことができるはず。

一瞬一瞬が特別で、別に大したことをしているわけではないけれど、

心はスッキリと晴れ渡り、楽しくて幸せな気分で、退屈に感じる時間は1秒もありません。
この話をすると、こんな風に言う人もいます。

「命が危険に晒されていたら、誰だってそのくらい集中できるのでは?

普通の生活の中ではどうしたらいいのでしょう?」

でも、それはちょっと違うのです。

山登りをしたり、セーリングをしたり、スキーで直滑降したり、

サーフィンしたりしている時だけでなく、いつも通りを過ごしている時でも、

バカンスを楽しんでいる時でも、同じように「今」に集中することはできます。


確かに山登りをしている時は、それ以外のことを考えている余裕はありません。

そして、散歩をしている時なら、命の危険に晒すことなく、3つも4つも同時に考えることができます。

しかし、この時、あなたは「経験の質」を危険に晒してしまいます。


散歩したり、ジョギングしたり、絵を描いたりする時、

何回ぐらい別のことを考えてしまったか、チェックしてみるといいです。

いつも目の前のことに一生懸命になれたら、何でもない当たり前の一瞬の中に、

たくさんの喜びがあることに気づくでしょう。
友人のロッククライマーに誘われて、ある渓谷を登ったことがあります。

安全だとわかってはいたものの、遠目から見れば美しい山並みは、

近づいてみれば切り立った崖でした。

足がすくみ、神経がひどく張り詰め、足の運びひとつひとつ、

触れた岩の1つが、生き生きと感じられました。


登り終えた後、友人に、なぜロッククライミングが好きなのかと尋ねました。

「登っている時には、今という瞬間に集中できるからさ。

こうしている時が本当に楽しいし、この集中力を人生の他の部分でも活かせるしね」

確かに、ロッククライミングをしている間、仕事のことも、家族のことも、

夕食に何を食べようかとか、昨日まで頭を悩ませていた心配事にも、

一度も意識が逸れることはありませんでした。

すべての意識を、足の動きだけに集中していたのだから。
セックスをしている時、心が他のどこかに行くことは滅多にありません。

それどころか、今この瞬間にこの上なく集中し、今に没頭するはずです。

心のこもった手紙や映画に夢中になるのも、それと同じ経験を与えてくれます。

読書をしている時、誰かに声をかけられたのに、それが聞こえなかった経験はないだろうか?

ページに書かれた言葉に惹きつけられたあなたは、

普段なら気を散らされるはずの光景や音に気付かなくなります。

そうしてものすごく集中して読んでいる時は、本の中に自分がいるように感じ、

その物語が世界のすべてのように思えます。

愛する人からの心のこもった手紙を読んでいる時、2秒ごとに読むのをやめて、

大嫌いな誰かのことを考えたとしたらどうでしょう?


心が「今」に集中すれば、気持ちはポジティブになり、

喜びと満足感をいっそう深く感じられるようになるのです。
たいていの人が「楽しい」と感じることを、いくつか挙げてみよう。

どんな共通点があるだろうか?


☆セックス

☆心のこもった手紙を読む

☆ロッククライミング、いかだで川下りなどのアウトドアスポーツ

☆感動的な映画を見たり、ハラハラドキドキする本や泣ける本を読む


パッと見たところ、どれも全く違っています。

セックスと読書に似たところは全然ないように思えます。

けれど、別の視点から見れば、この2つはとてもよく似ているのです。

その類似点に行ったん気がつくと、右に挙げたどれでもそのよさがわかり、

もっと純粋に楽しめるようになります。


セックスしている時、心が他のどこかに行くことは滅多にありません。

それどころか、今この瞬間にこの上なく集中し、今に没頭するはずです。

心のこもった手紙や映画に夢中になるのも、それと同じ経験を与えてくれます。
友人が始めて子どもたちを置いて、妻と2人で数日間、家を空けたことがありました。

夫婦はこの特別な時を、1年以上も心待ちにしていました。

そして、カリフォルニア州北部にある、ロマンチックで静かな町へ行くことにしました。

家からだんだん遠ざかっていく車の中で、2人が話すことと言えば、

初日は1日中、子どもたちのことばかりでした!


夫婦で出かけたのは、2人きりになりたかったからです。

けれど、子どもたちから離れて、世界で最も美しい観光地の1つにいながら、

2人がしていることと言えば、子どもたちのことを考えたり、話したりして過ごすことだったのです。

2人は、昔行った家族旅行のことや、子どもたちが小さかったころの思い出、

そのほか思いつく限りのことを話したが、すべて子どものことでした。


2日の昼ごろ、妻が、驚いた声で言いました。

「もう家を離れて24時間以上も経っているのに、ワタシ達のやっていることといったら、

家にいる時とまるで同じだわ。子どもたちのことばかり話してる!」

2人は、自分たちがしていたことに呆れ、

また自分たちがどんなに子どもたちのことを愛しているかを実感して、

しばらく笑いが止まりませんでした。

その後、彼らは今この瞬間にもっと集中し、2人の時間はロマンチックで幸せなモノになりました。



結局、せっかくの休暇だったというのに、帰る頃にはヘトヘトに疲れてしまいました。

旅を振り返ってみれば、どこへ行っても心は次にやることでいっぱいになっていて、

覚えているのは「明日は楽しくなるわね」とか「デザートはどこで食べたい?」といった会話ばかりです。


詰め込み過ぎのスケジュールに、ワタシ達はひどくストレスを感じます。

それは何も、あちこち動き回るからという体力的なことだけが原因ではありません。

今この瞬間ではなく、「次は何をするか」「明日はどこへ行くか」と、

常に先のこと、未来のことばかりに意識を向けている、せわしなさのせいでもあります。


心がいつも未来に飛んでいると、いろいろな経験をしたところで、

感動は中途半端になります。


覚えておいてほしい。

意識が「今」から離れるほど、あなたのストレスは大きくなり、喜びを感じにくくなってしまいます。
友人と、海外旅行に出かけることになったとします。

彼女は旅行の間、毎日毎日、ぎっしりと予定を詰め込んでいました。

歴史的な建造物を訪ねた後は、博物館を見学し、列車に乗って田舎を巡り、

レストランで食事をしたら観光地を一通り回り、ホテルに戻ったらプールで泳ぎ

・・・・・・といった具合に。

そして、夜、ようやくホテルで寛いでいると、早速この友人はあれこれ明日の計画を練り始めます。

電話をかけたり、雑誌をめくったり、次々にスケジュールを組んで行くのです。

そして、口を開けば「次は何をしたい?」と聞いてきます。

そして、こちらが「別にどこでも」とか、「ぶらぶら街を歩いてもいいんじゃない」と応えると、

何ともがっかりした顔をするのです。

それはまるで、あなたが時間を最大限に活用しようとしないことに失望しているような、

何か目的を持って動くことこそ重要だとでもいうような感じです。

やることは多ければ多いほどいい、と思っているのです。
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