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もともと美容師で自分のお店を出したいとお金を貯めていた(^Q^)/^
だから、他の女の子みたいに派手に洋服やアクセサリーを買ったりしないで、夜のお仕事にしては慎ましい生活をしていた(o^o^o)
私も夜のお仕事だからといって、お金をたくさん戴くからといって、
無駄に遣うようにはなりたくなかったo( ̄ ^  ̄ o)
だから、ありさとは気が合ったのかもしれない(*^_^*)
ただ私と違うのは、彼氏よりお金を選んだ事である。
確かに目標があったのかもしれないし、しっかりしていたのかもしれないけど、
一緒に住んでいたかなり年の離れた彼氏(確か、お父さんと5歳くらいししか違わなかった)に
お金を使われたとき、彼を許すことができずに、さっさと別れてしまった。
私ならきっとお金より彼氏を選んだだろう!
真夏のものすごい暑くなったころ、
ありさが入ってきた。
京都から来たらしい。
この子は、私と同い年ながら
お仕事は6年のキャリアがあり、
お話も面白く、
誰とでも仲良くなる
明るい子でした。
私とありさは、
同じ席に付くことが多く、
自然と仲良くなっていきました。
背は小さいけど、
胸は大きくて、たしかFカップあると
言っていました。
私はあまり胸の大きい方ではないので、
Fカップまではいらないけど、
せめてDカップくらいはほしいなあ
と思っていました。
でも、そんなことを思っていても
何も変わらない、
胸は大きくなくても
私をいいと言ってくれる人もいるんだから
と自分に言い聞かせて
コンプレックスに目をつぶることにしました。
やっと6か月が過ぎ、
仕事にもようやく慣れたころ、
若いお客さまがいらっしゃった。
私のお客さまは、
だいたいが年上でお父さんの年代の方が多い中、
若くてどちらかというとお話の得意じゃないという感じの
お客さまがいらっしゃた。
私もどちらかというと、
私よりも年下の男の方は苦手で
しかもあまり喋らない方は
どうしたらいいのか
わからなかった。
「変な人だなあ」
それがこの人の第一印象でした。
背が高く、体も細く、
声も独特のある質・・・
どんな仕事をされている方なのかも
どんなものに興味があるのかも
全く分からずに終わってしまった。
遊び慣れている人はいいけど、
こういういかにも慣れていない
うんともすんとも言わない人や
はっきりしない人は苦手で、
本当はその人をいかに楽しませるかが
お仕事なんだろうけど、
融通のきかない私には
そんなことは無理でした。
でも、頭の中では、
どうやったらいいのか
自問自答してたりするのだけど、
そんなことは、
この人にはわかるはずもない(+_+)
きっとこの人は二度とはこないだろう!!
と勝手に思っていました。
私は何でもめいっぱいやってしまうおかげで
確かに自分が自分でなくなるくらい仕事もやりましたが、
充実した毎日を送っていました。
お客様にもできないながら
指名してくれる方々がいらっしゃり、
私にも役に立てることがあるんだ、
と実感もしたし、すごく嬉しかった❤
お店にも慣れて、指名もだんだん増えてくると、
お店のママやマネージャーにも期待もされ、
私もしんどい反面、毎日が楽しかった。
だって、もともと楽がしたいとは思ってなかったし、
お給料をもらうことは大変なこと、
しかも、こんなにたくさん貰えてありがたかった。
これも日頃よく来て下さるたくさんのお客様のお陰である。
私のお客さんは
もともと五月さんのお客さまだった方が多いのですが、
お父さんのような人が多く、
さまざまなこととを教えてくれる方ばかりで
何もわからない私にとっては
すごく感謝するばかりでした。
でも、それは私が一生懸命だから
言ってくれているんだと、
誰にでも言うわけではないと、
言われました。
この時代のお客さまが
言ってくれたことは
今でも忘れてません。
お姉さんと言っても私と同い年、明るくてキュートな人で、もうすぐ辞めて結婚するらしかった(・・;)
五月さんは細かい事まで色々教えてくれてました。
理沙さんもスレンダーでおしゃれで綺麗な人で、セクシーな感じのこの人も私と同い年の人。
今度、美容院に一緒に行くことになった('∀'●)
2人ともステキな女性で、彼女達のようにはできないかもしれないけど、
とにかく一生懸命やろう!私が楽しかったら
きっとお客さまも楽しいはず!
覚える事もいっぱいあるけど、
頑張ってみよう!
頑張って無理だったら辞めればいいんだから、
紹介してくれた人の顔を潰さないためにも
とりあえず3ヶ月は頑張ってみよう
って思ってました♪
彼女達はママに可愛がられてるみたいで、
私はママに
「プライベートで遊ぶなら五月か理沙と遊びなさい!
余計な事は覚えなくていいから!!」
って言われてしまいました^ロ^;
あとで聞かされたんですが、
私はタイプ的に五月さんに似てたみたいで、
五月さんの辞めたあと、指名のお客さまを全部任せようとしてたみたいです(・・;)
そんな事とは知らなかった私は、
目の前の人を楽しませる事しか頭に無かったのです^ロ^;
今は無理ですが、
お客さまの顔と名前はもちろん、
その時に話の内容もすべて記憶してました(^Q^)/^
それだけ必死だったんです(*^_^*)
今考えれば、
他のお姉さん方は優しくしてくれたけど、
ホントは私がママに可愛がられてる事も気に入らなかっただろうし、
たった2ヶ月でNo2になってしまった事も妬ましかったに違いない(^o^;
でも、私にはそんな事に構っている余裕はなく、
慣れない仕事で毎日ヘトヘトでした(´Д`)
この日は知り合いの隆さんにマネージャーのヒデさんに合わせてもらい、
三人で食事することになった(^^)/▽☆▽\(^^)
まず最初に聞かれたことは
「血液型は何型?」
だった!
「O型ですけれど」って答えてキョトンとしていると、
「O型が欲しかったんだ!うちの店の女の子、B型が多くて大変なんだ」って。
「そうそう、名前何にする?」
「紗也加なんかどう?」
私はかわいい名前がよかったので
ニコニコしながら「はい」って答えた。
その当時は、
松田聖子が娘の「さやか」を産んだ頃だったから、
そのせいかも知れない(o^o^o)
あしたから私の名前は紗也加だ(o^o^o)
ちゃんとお仕事できるのか緊張と不安でいっぱいでした(´Д`)
とにかく頑張ろう!
この町にいたのではきっと
私は平凡に結婚して子供を産んで
死んでいくのかと思うと
何かをしなければと思っていました。
平凡・・・その当時の私の一番嫌いな言葉
だからと言って、私に何か特別な能力があるわけでもなく、
でも、死んでるように行きたくはないが
何をしたらいいのかもわかりませんでした。
そんなとき、
ある知り合いの方に
「仕事をやめたい」と相談してみると、
「神戸のラウンジで友達がマネージャーをやっているんだけど、
今女の子を探しているらしいけど、
晃子ちゃんやってみない?」
私は興味を持ちました。
お酒はまったく飲めないけど、
お話は好きだし、
お給料もいいみたいだし、
人の役に立てるなら
頑張ってみようかなあ・・・(^^♪
ワクワク(*^。^*)しました。
父母は反対しましたが、
私はこうと決めたら言うことをきかない性格・・・
2ヶ月後には、神戸にいました。
早いもので、あれからもう10年が経ちます!
離婚した頃は、これからはひとりでしっかり生きていかなければ…とても不安がありました。
結婚婚当時は、私がしょうちゃんを支えていたように思っていたけど、
頼りなくてもしょうちゃんに支えられて生きていたように思います(*´∀`*)
私はどちらかというと計画通りにいかないと気が済まない方で、
しょうちゃんはお金にも時間にもルーズで、私とは正反対の人でした(^^ゞ
だから私は腹が立つことやイライラすることがよくありました(T_T)
でも、私が「もっとゆっくり行けばいいよね」と彼のペースに合わせてあげればよかったのかも!?
しょうちゃんはきっと弱い人だったのでしょう(^o^;
必要以上に私がプレッシャーをかけすぎてしまったように思います 。
そして、プレッシャーに押し潰されそうになって、
行き場を無くした彼をギャンブルに走らせてしまったのは私なのかも知れません(;_;)
添い遂げる事はできませんでしたが、私はこの離婚を失敗だとは思っていません!
行き先の同じ列車に乗っていた2人でしたが、目的地が違った2人が同じ列車には乗れません。
ましてや行き先のわからない列車に乗ったしょうちゃんだと、
どこに連れていかれてしまうのかもしれません。
行き先のはっきりした列車に乗りたい。
目的地を変更しなくてはいけない場合もあるけれど、
行き先のプレートはきちんと掲げて生きていきたい…
人生を幸せにするためのキッカケが離婚だったように思います☆彡