一人でヒーリングサロンを広島に開店しました。開店までの奮闘記、波乱万丈の人生日記♪
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社長は店長とこれからの事を
話し合った結果、
すぐには今のお店を開ける事は
無理だと判断した。
そして落ち着いた頃に
連絡を入れてくれることになった。
ワタシとしょうちゃんは
とりあえずワタシの故郷に
行くことにした。
神戸市内からは電車は動いていないし、
車で移動するのもとても無理だったので、
必要最小限の荷物を持って
自転車で明石を目指した。
明石まで出れば
電車も動いているかもしれないと
考えたからだ。
何時間もかけて走った。
周りを見ると、
リュックを背負って歩いている人や
私たちのように
自転車を走らせている人が
たくさんいた。
まるで社会科の教科書に
でていた 中国の町を
思わせるような光景だった。
そして、戦後はこんな感じだったのかな?
と ふと思った。
戦争は経験したことはなく、
テレビの中でしかその悲惨さは知らない。
けれど、交通機関は全て止まってしまい、
食糧は入って来なくて
食べられなくて辛かった。
毎日当たり前のように入っていたお風呂も
もう一週間も入っていなかった。
それに木造建築の多かった長田は
たき火の残り火が原因で家屋を
焼き尽くしたのを目にした時、
ちょっとショックを受けた。
話し合った結果、
すぐには今のお店を開ける事は
無理だと判断した。
そして落ち着いた頃に
連絡を入れてくれることになった。
ワタシとしょうちゃんは
とりあえずワタシの故郷に
行くことにした。
神戸市内からは電車は動いていないし、
車で移動するのもとても無理だったので、
必要最小限の荷物を持って
自転車で明石を目指した。
明石まで出れば
電車も動いているかもしれないと
考えたからだ。
何時間もかけて走った。
周りを見ると、
リュックを背負って歩いている人や
私たちのように
自転車を走らせている人が
たくさんいた。
まるで社会科の教科書に
でていた 中国の町を
思わせるような光景だった。
そして、戦後はこんな感じだったのかな?
と ふと思った。
戦争は経験したことはなく、
テレビの中でしかその悲惨さは知らない。
けれど、交通機関は全て止まってしまい、
食糧は入って来なくて
食べられなくて辛かった。
毎日当たり前のように入っていたお風呂も
もう一週間も入っていなかった。
それに木造建築の多かった長田は
たき火の残り火が原因で家屋を
焼き尽くしたのを目にした時、
ちょっとショックを受けた。
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