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今の人間関係は、
ある人を中心にきっかけを作っていただいて、
広がった人間関係です。
その方とは10年前くらいから知り合いではあったのですが、
出会った当時はなかなか深い話をする機会もありませんでした。
しかし、私が自分でサロンを開店する前に
よく行く鍋料理のお店『和味庵』で顔を合わせるようになり、
いろんなお店に連れていってもらうようになりました。
一緒に飲み&食べに連れて行っていただく中で
私にとっては貴重なお話をたくさんしていただきました。
そして、お気に入りのバー『DOING』から
さまざまな年齢や職種の方々に
出会うことができました。
それに、お勉強になることが多々ありました。
いろんな「もし」を考えると、今の人間関係はあり得ませんでした。
もし、私が神戸に行かなければ
元旦那さまと出会うこともなかったと思います。
そして、阪神大震災にも遭わず、
広島に来ることも住むこともきっとありませんでした。
もし、あの時子供が出来ていれば離婚することも
なかったのかも知れません。
そして、もし、離婚していなければ私は
専業主婦をしていたと思うし、
飲みに出ることもなかったと思います。
たくさんの『偶然』を積み重ねて出来た今なんです。
私は偶然だとは思っていませんが、
いろんな道を選択してデコレーションして、
出会い、別れがあり、また新しい出会いがありました。
出会えてありがとう~♪
しょうちゃんは東京に出た。
バブル全盛期で日本中景気がよい頃だった。
東京に出ると、新聞配達をしたこともあったし、
喫茶店で働くこともあったらしい。
しかし、この景気のいい世の中、
大金を稼ぐこともあった。
ディスコ通いをしたり、飲み歩いて、
1日で何十万を使い果たすこともあった。
それに子供の頃にギャンブルを覚えていたから、
パチンコや競馬もしていた。
淋しさを紛らわすためだったのかもしれない。
仲間と騒ぐのは楽しかったけれど、
心のどこかには家族のことが
頭から離れなかったのだろう。
この頃の生活は楽しかったけれども、
決して淋しさから逃れる事も出来ず、
心は満たされることもなく、
派手なお金の使い方を
覚えたに過ぎなかった。
行きたいバーがあります。
カクテルもおいしいけど、ディナーを食べに行っているような感じ☆
帰る前にはミルクティーとケーキを食べることは
お店の方はわかってくれていてすごく嬉しい。
今、私の癒しの場になっていることは確か。
私は口ではキツい事を言ったり、
ノリで話すことが多いけれど、
実はなかなか心を開けなかったりするのです。
どこへ行ってもどこか心に鍵をかけて、
本当の自分を隠していたりします。
最近の私は、キツいお酒に酔って
周りが引くくらいエロトーク炸裂してしまって以来、
少しだけ自分の殻から
抜け出せたように思います。
私をそうさせたのはお酒の力もありますが、
私の気持ちを和ませてくれた
マスターとスタッフの方のおかげだと思っています。
ありがとうございます☆彡
母親がお金を借りに来た。
母親はパチンコ屋で働いて生計を立てていた。
パチンコ屋に居れば、
住むところも食べることも困ることはない。
しかし、お給料のほとんどは
借金の返済に消えていった。
お金がなくなるといつも
息子のしょうちゃんの所へ
「お金貸してちょうだい!」
とお金を借りに来るようになった。
それは今でも変わらない。
しょうちゃんが言うには、
この「お金貸してちょうだい」の
「ちょうだい」は「頂戴」!
返す気なんてない「頂戴」なんだと、呆れていた。
生活するようになった。
お料理をしたことがなかったので、
同級生の女の子にご飯の炊き方や
簡単なおかずの作り方を教えてもらって
食事を摂るようになった。
そして、学校にもあまり行かなくてバイトに明け暮れた。
学校に行くよりもお金を稼ぐ方が大事だった。
それは、三女の姉の公子さんは
生まれ足が悪く治療費もかかった。
しょうちゃんは、姉のためにも
自分が働かなくてはと思ったのだろう。
中学生になってもそれは続いた。
たまには学校に行ったのかもしれないが、
基本的には生活のために働いたのである。
愛想もよい人なので、お客さんも増え、
ある時自分のお店を持つことになった。
そのお店も順調にいき、2号店を出した。
しかし、その時くらいからうまくいかなくなり
借金が徐々に増えていったのだ。
その借金が原因で、
母親は父親と喧嘩するようになり、
父親は次第に家に帰って来なくなった。
そして、今は銀行振り込みだが、
当時は手渡しだったので、
お給料も家に入れなくなった。
毎日のように借金取りがくるようになった。
小学生のしょうちゃんは
怖い思いをした。
生活の出来なくなった家族は
家を出てそれぞれに働き、
バラバラに生活をするようになった。
しかし、しょうちゃんはまだ小学生で
働くことも出来ず、
この家に居るしかなく、
でも、食べるものがなくて、
栄養失調になってしまった。
父親にとっては待望の長男だった。
父親は昭和9年生まれの古い考えを持った人で、
躾にはかなり厳しかったらしい。
が、年を老いてからできた子供、
しかも、男の子の誕生はかなり嬉しかったに違いない!
しかし、日本の古い男の人なので、
男尊女卑の考え方で、
一番上のお姉さんとは9歳違いだったが、
しょうちゃんは姉たちを呼び捨てで
いつも呼んでいたらしい。
箸の持ち方、使い方、食事の仕方、・・・と
いろいろとうるさく躾けられた。
子供の頃、私の両親は自営の仕事を始めて
夜中にならないと帰って来ない事が多く、
食事を家族みんなですることのなかった私には、
すごく羨ましいことだったが、
しょうちゃんにとっては
苦痛のなにものでもなかった。
食事の時もただ黙って食べるのが
普通のことだったらしい。
家族団欒とか和気靄々ということには程遠かった!
今何て言ったの?
一緒に住まない?って聞こえたような・・・
気のせい?
って考えていると、
「ねぇ、一緒に住まない?」
やっぱり、そうだ!
何でそう思うのだろう?
お泊まりじゃダメなの?
「嫌?
俺はオカンとオトンがずっと別居してるから、
家に帰っても淋しかったんだ!
でも、ここに来る時に
普通の家ってこんな感じなのかなあって、
帰ったら待っててくれたり、
冬なんかは部屋があったかかったり、
出かけるときは『いってらっしゃい』と
言ってもらえたり、・・・すごい嬉しいんだ」
と。
そっか~!
両親が仲悪かったから、
温かい家庭に憧れてる
って言ってたよね!?
ここに来たり帰ったりが
しょうちゃんの気持ちを
和ませたのね☆
どーしよーかなあ!
そんなに居心地がいいんなら
ずっと一緒に居られるのは嬉しいし、
一緒に住んでもいいかなあ!
私の応えを待ってるしょうちゃんに
「ここに来たら?」
仕事が終わったら、
とりあえずの荷物を寮から
持ってくることになった!
でも、灯りで起こしちゃいけないから、
トイレで本を読んだことを伝えると、
電気を付けても平気な人らしく
「別によかったのに!」
と言われてしまった!!
私は真っ暗じゃないと眠れないけど、
へ~、そうなの!?
明かりで起きない人なんだ!?
と私とはまた違う一面を発見した。
私は昔から寝付きが悪く、
ぐっすり眠れた日があまりなかったけど、
しょうちゃんは寝付きがよくて
眠れないことがあまりなかったらしい。
うらやまし~☆
と思っていると、
「一緒に住まない?」
昨日ニュースを見ていて、
フィレンツェの大聖堂の柱に
建築の勉強のために
きていた大学生が
落書きしていた
と言っていていました。
日本はどうなっているんだ?
これもしつけだけじゃなく、
ゆとり教育のつけなのかと
考えてしまいました。
確かに昔を振り返ったとき、
親も先生ももっと威厳があったし、
厳しかったように思います。
そして、近所の人にしても
悪いことは悪いと教えられました。
ところが、今は、
そんな子供を見ても
見て見ぬふりをする大人が
増えたように思います。
日本の古いけれどよい考えや
風習、意識がだんだん
なくなってしまっているのではないか?
とちょっと悲しくなってしまいました。
昔のよき時代の日本を取り戻そう!!

